価値があるから行くんじゃない【首里城けおのうち】

価値があるから行くんじゃない

何度も沖縄に行っていると、名所と呼ばれていないところで感動したり、久しぶりに行った名所で再発見があったり沖縄のアチラコチラは飽きることがありません。と思うのは僕だけかも知れません、しょせん個人の感想ですが、僕はいつも楽しいです。

僕にとって「京の内」は厳かすぎて写真を掲載できませんでしたが、最後に看板だけ入れました。
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スポット13 首里城公園の歩き方【京の内】

沖ハマりの日常49で首里城の歩き方を紹介しましたが、首里城に行くのなら立ち寄るべき大切な聖域は≪《”京の内”》≫です。 公園管理センターの表記では「きょうのうち」となっていますが、沖縄の古歌謡”おもろそうし”では「けおのうち」と平仮名で表記されています。

正殿前の奉神門から首里杜御嶽(すいむいうたき)の前を通り西へ向かうと左手に京の内に向かう入口があります。観光客をスムーズに誘導するために一方通行の順路のように帰り道に誘導されますので、ふとすると入口を素通りしてしまいます。(僕も1度は素通りし聖地に行かぬまま帰りました。)

高い石垣に囲まれたエリアは、出口に向かう道とは異なる世界であることを示しているようでしたが、実際、京の内エリアに入っただけで空気が重くなったように感じました。(もちろん、個人の感想ですよから、ちっとも感じない人もいます。)そう感じるのは、下調べで得た知識のせいなのは承知していますが、雑踏から隔てられた空間に入ったみたいに、急に静けさに襲われました。

すぐに”拝所”のような場所が出てきましたが、四つある御嶽のひとつなのか?どうかの判断は僕にはできませんでした。ただ、理由はなく「キチンとしなアカン」という気に駆られて、神域を歩き回る”お赦し”をお願いしていました。

何だか怖かったんです。

すぐ先の突き当たりにも”拝所”がありましたが、その手前を左に折れて進むと、また”拝所”が見えてきます(実際に”拝所”であるかどうかはわかりませんが、「失礼します」と頭を下げてました。)が、その奥にきれいな階段が見えました。

そのまま奥の階段を登ろうとしましたが、階段の右の方からなんだか”圧”を感じてしまって、向かうと、洞穴の前に柵が施された場所に出ました。御嶽(うたき)であろうと思い手を合わせましたが、何をお詣りしたのか覚えていません。なぜなら、此の場所が京の内で感じている”怖さ”が噴き出ている処だと思ってしまい(これこそ完全に個人の感想です。)、怖さを感じながら何かを言ったのだと思います。

誤解のないように言いますけれど、ここで言う”怖さ”は恐怖ではありません、神仏に対する畏怖の念です。緊張を伴いかしこまっている”怖さ”です。

それでも、キチンとお参りしたせいなのか、森を抜けて周囲が明るくなっていたせいなのかは、分かりませんが、きれいな手すりのついた階段を上がり切るとホッとしました。奉神門の方へ、小さな門をくぐり、そのまま進むと右側に小さな物見台が見えます。物見台と言いましたが、東のアザナや西のアザナのような高さも広さもありません。

さほど広くはない高台に立つと”物見台=展望台”の感じはなくて、此処に立つヒトの目的は、街を見ることではなく天を仰ぐためではなかったのかと、勝手に思ってしまいました。首里城発祥の場所とも言われる”京の内”が、”けおのうち”と呼ばれた”霊力”の高い地帯であるとするならば、ここに立ったのは神の声を聞く”聞得大君”なのか、”おおおあむしられ”という神女なのも知れません。

そんな妄想を走らせるほど、僕は”空”を見上げてしまったのです。

二度三度と深呼吸を繰り返していると、格式高い神社の境内にいるような気分になりました。最後に高台に一礼して来た道を戻りますが、少し暗くなった杜の中を戻っても最初に感じた”怖さ”はありませんでした。

入口付近の分岐点まで戻った時に、カメラを抱えた陽気な観光客の方がいらっしゃいました、余計な事ですが、彼の後姿に向かって『階段の方に行くな・・・・御嶽の方に向かうな・・・・』と念じてしまいました。キチンと聖地を敬われる方だったならスミマセンでした。多くの観光客は素通りしがちな場所だと言いますが、”神域”を観光で歩くなら素通りが正解です。

個人的な意見にすぎませんが、神社に心静かにお参りされるような人なら、首里城公園に来て正殿や御内原だけで帰ってしまうのはもったいないと思います。だって、神様のお告げで国政を為していた琉球王朝のあった首里城ですから神様を感じないともったいないでしょ。

ただ、「ハブにご注意」の看板がやたらに多いのは恐怖でした。

けおのうち

”けお”とは霊力を意味する”せじ”と同義語であると、沖縄県のホームページに記載されていました。この”せじ”なる霊力は人に付くだけでなく剣に付けば”霊剣”になり石や杜や人にも付くと言われます。

沖縄では霊能者を”せじ高の人”と呼んでみたり、神に近しい女性を”せだかこ”と呼ぶそうですが、この”せじ”と同義語で使われる”けお”に”京”の文字が充てられました。”うち”はまさに”内”で場所を示しますので”けおのうち” =”京の内”となり。

首里城の正殿に至る奉神門の前にある”首里森御嶽”の奥にある森で、霊力の備わっている場所=聖域であり「首里城発祥の地」と伝わります。

また民俗学では天から降臨した神が降り立つ小島を”京”と表すこともあるようですが、そうなら淡路島や久高島も”京”なのか?なんて思いました。

”せだかこ”の最高峰である”聞得大君”が神事を執り行った杜(もり)を、スピリチュアルな空気を感じながら、騒がずに静かにゆるゆると歩いてみては如何でしょうか?

なんか、怖いですけどね。

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