沖ハマりの日常 vol.66

沖ハマりの日常

「北海道がいい」とか「ネズミの国」がいいとか言ってたはずなのにー
気がついたら那覇空港にいてしまうような沖縄好きの戯言です。

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№178 「琉球いも」って未来もあった

数年前に喰らった人生初の「便秘」は、コンクリートで肛門に栓をされたような苦しさで、初めて経験する「気持ちの悪い」お腹の張りにのたうち回っていました。そんな僕の様子を見かねた妻が義母の介護の時のように僕を四つん這いにさせ、苦しさと屈辱の間に揺れる僕に構う事なく、そして、一切躊躇うこともなく”浣腸”を叩き込んだのです。
しばらくして、僕の家長としての尊厳と矜持は凝り固まった便と共に流されたのでした。

その日から、寝る前に行う「便秘体操」は日課となり、はちみつ、ヨーグルトと並んで食卓の常連となったのが”焼き芋”です。豊富な食物繊維は快便だけでなく甘味の摂りすぎも控えさせることになり、自然と体重も落としてくれたのです。

僕はネットリして、包んである紙袋に蜜が滲むような”さつまいも”が好みなのですが、たまたま知り得た情報にビックリしました。

”さつまいも”って、薩摩で生まれた芋じゃなかったんですね。

いや、それも正しくないかも知れません。「さつまいも」って呼称で考えると、やはり薩摩の国の芋となりそうです。と、言うのも、もともとは中南米が原産の芋で、これが琉球に伝わり、痩せた土地でも育つことから食物が十分に足りずに困っている琉球の人に栽培方法を伝播したところ、たちまち県内各地に中国から伝わった「甘薯」や「唐芋」として広まったと言われます。

ただ、中国から琉球に伝わった経路には2説あり、宮古島から島々を経て本島に伝わったという説と嘉手納の役人”野國總菅”が芋を持ち帰り広めたという説です。嘉手納役人説が具体的で優勢との意見もありますが、”さつまいも”観点からの起源の紹介記事では「琉球に伝わった甘薯を薩摩に持ち帰り」とあり、宮古や嘉手納が”琉球”として括られていました。

飢饉は琉球のみならず日本全国に及んでいましたから、薩摩から陸路で江戸に運ばれ、全国に広まったことで「さつまいも」の呼称が定着したのですね。飢饉に強い芋とは言え、山芋やジャガイモのように切って植えただけでは腐敗するものが多く、栽培法の伝播に苦労があったと言いますから、琉球でも薩摩でも多くの”隠れた偉人”を介して人々が飢饉から救われたのでしょう。

と、すればですよ。

琉球から伝わった芋を薩摩に広めた偉人”前田利右衛門”さんは、最初は「琉球いも」って呼んでいたと思うんですよ。陸路で江戸に向かいながら徐々に広がっている頃は「琉球いも」だったんじゃないでしょうか?たぶん(知らんけど)。

ところが、遠く離れた江戸に送るために船で運ばれたあたりから、呼称が変わって来たんじゃないかと推察するわけです。首都 ”江戸” にすれば、薩摩便の船に積んできた「芋」ですから、なんとなく「さつまいも」と呼んだような気がしませんか?

幕府とすれば全土を飢饉から救う可能性をもった「切り札」を手に入れたのですから、偉人”青木昆陽”さんに「”さつまのいも”の栽培法を、薩摩の人に学ぶよう」にって指示しますよね。ここが「惜しい!」昆陽さんに指示を出した幕府の偉いさんの誰かが「昆陽に申す、この”琉球のいも”を学んで参れ」とか言ってくれていたら、”さつまいも”が”琉球いも”になったという「未来」もあったのではないでしょうか。(もちろん、知らんけど。。。)

№179 ブルース・リーが凄すぎて

僕は「カンフー映画」と言うと、真っ先に”ブルース・リー”を思い浮かべます。もちろん、ジャッキーチェンやサモハンキンポーを思う方もおられると思いますが、一定世代以上の人はブルースリーだと思うのです。それ程、最初に観た「燃えよドラゴン」は凄かった。

そして、ブルースリーといえば「アチョー!」の甲高い声と共に頭に描くさまはヌンチャクを振り回す姿ではありませんか?そして、僕はずっと”ヌンチャク”は中国の武器だと思っていました。

なんと、琉球発祥の武器だったんですね。

 政策や侵攻で剣や槍といった武器としての武器を取り上げられた民衆が、己の身体を武器と化した空手(唐手)が沖縄発祥だと言うのは結構知られていますが、実は、肉体を鍛えて武器と化した民衆の知恵はヌンチャクをはじめとする新たな武器を生み出したのです。

え?「武器を取り上げたられたのに、新たな武器を自主制作したら、当局に捕まらないか?」って、当然、思いますよね。民衆が作ったのが”武器”であれば取り上げられたと思うのですが、”農具”や”仏具”であれば問題なかったのです。つまり、新たな武器は農具や仏具に見える必要があったのですね。

諸説あるのですが、ヌンチャクは馬具を基に作られたと言われており、馬の顔を挟むように左右の木片を結ぶ縄部分を馬に咥えさせ、馬上から操っていた道具ではないかと考えられています。つまり、馬を操るための馬具を武器に昇華させたものがヌンチャクだったようです。

そうであれば、他にも同様の起源を持つ武器があるはずだと調べてみると、”トンファー”は船の櫓や脱穀の農具の形、”サイ”は仏具の形、”エーク”は船の櫂の形に見えます。(琉球古武道協会総本部 日本空手古武道水心塾さんのホームページを拝見しました。)


実は、トンファーやサイも中国の武具だと思っていたので、ヌンチャクの時の同様に驚きましたが、圧政に苦しむ民衆の叡智から生まれた武器だと言うのは誇らしいのか悲しいのか、考えてしまいます。

その中でも、ヌンチャクは「燃えよドラゴン」のブルースリーが凄すぎて、カンフー=中国の武器だと思っていたのは、僕だけじゃないと思います!(しらんけど)