「去年は沖縄に行ったから今年はどこに行こう」なんて、言っていたはずなのに
「北海道がいい」とか「ネズミの国」がいいとか言ってたはずなのに
気がついたら那覇空港にいてしまうような沖縄好きの戯言です。
No.31 もし、あったら読んでみたい本の名前
もし、あったら読んでみたいようなタイトルを考えてみた。
文化編
・グスク歩きと川拝み
・ペリーを丸め込んだウチナンチュ
・聖地を訪ねちゃいけない
聖地を尋ねちゃ行けない
・冬至に向いた窓 〜 浦添ようどれ
・サンパチロク琉歌のイミクジ
・琉球開闢の神は自凝島に降りたのか
・瓶子(ビンシー)は実印と同じ
・しまくとぅばを封じる方言札
ファンタジー編
・そんなとこにいたらアブナイよ
〜木の上のトモダチ
・ヤンバルクイナだって飛べるもん
・ノロとユタとオバーとクーちゃん
・ゴーヤーのパンツ
・神の棲む島から神が居なくなる
雑誌の特集編
・ヌーヤルバーガハンバーガーニフェーデービルボディビルは知ってても、ヌーヤルバーガーを食べたことはあるの?
・美しいグスクの怖い禁足地 〜 せめて呪われた事に気づかせて欲しい
・土砂降りの日にみたい絶景
・国際通りに売っていないツウな沖縄土産
・ハブを警戒しながら行くカフェ特集
・期間限定イベント、期間限定商品◯月編
・i turn girlが沖縄に来た理由
・就職先県外ライキング 意外な一位の県は?
アニメ編
・ニライカナイの時計
・ウチの高校のグランドには甲子園の土が埋めてあるらしい
・なんでウチが王様なわけ!
・「帰りましょうねー」って、言うから#
・神さまだって育児できるもん
・琉球王国大阪大使館勤務
・視える家族のご先祖はなかなか成仏しない
・やんばる市役所まかちょうけ課
・浦添生まれの王様
・ウチのシーサーは口うるさい
これは、楽しい! 著作権なんか問いませんので、タイトルにインスピレーションを得て漫画を描く人いませんか?

No.32 なりやまあやぐ・・な事
随分と長い間、沖縄民謡の[なりやまあやぐ]を「慣り山危ぐ」と勝手に思い込んでいました。要はしまくとぅばが分からなくて歌詞が分かって居なかったのですが、”てぃんさぐぬ花”のような教訓歌であれば「慣れた山ほど油断して危険なんだよ」という意味だと理解していました。
ネットで調べても時代や背景によって多少の意味合いの違いがある様で、明快な和訳(ヤマト言葉訳)がなかったのですが、僕の解釈は的外れでした。
そもそも、[あやぐ]とは「危ぐ」ではなく、「綾言」だと言うのです。聞き慣れない言葉ですが宮古地方に伝わる”歌謡”という意味で、教訓歌も多くあるようです。
また、頭の[なりやま]ですが「慣れた山」とも「馴れた山」とも言われますから、言葉の解釈しては合って居ましたが、後半部分が形容詞だと思っていましたので「危ない」が教訓部分になってしまいます。歌謡という意味の[あやぐ]が「歌」という名詞なのか「歌う」という動詞なのかは分からないのですが、「慣れた山の歌」であっても「慣れた山を歌う」であっても「慣れた山で歌う」であっても教訓となる解釈に幅を持たせているように思います。前半の「やま」も「山」という意味の他に「人の集まる所」という意味もあるようなので、真意は一つにして表現の幅を持たせたように感じました。
1番の歌詞を見ると、「サーなりやまや / なりてぃぬなりやま / すぅみやまや / すぅみてぃぬ / すぅみやま / イラユマーン サーヤーヌ / すぅみてぃぬ / すぅみやま」とあります、「慣れた山」だとすると「慣れた山だと言って、油断してはいけないよ」と、女性が男性に対して怪我などせぬように心配している様子になりますが、「人の集まるところ」だとすると、「人が多いヤマに慣れてしまって、ヤマに染まらないで」と誘惑の多い都会に染まらないように男性の心変わりを心配する女性になります。
女性の心配は怪我でも心変わりでも正解なのでしょうから、意味を掛けた歌だとすると天才的な言葉のチョイスだと思います。
ただ、2番・3番と歌詞が続く歌詞を見ると、”心変わり”や”浮気”に軸足が移っているように思えますから、「純粋に男性の身体を心配していた女性が、心変わりを心配し、浮気を疑うようになった」のかも知れませんね。でも、心配の根幹が男性への愛ですから教訓歌でもあり恋歌のようでもあります。
「馴れ馴れしい女には気をつけろ」とか「手慣れた馬でも手綱を緩めるな」なんて、出稼ぎに出た夫を案じる妻を描いたような歌詞なのですが、恋人同志であっても「ハニートラップに注意しなさい」と戒めているように聞こえます。何人かの方は「木綿のハンカチをください」なんて女性が言い出さないか心配になると思いますが、Coccoさんやキヨサクさんは男性が心配になるような事も歌っていますから、遠距離恋愛の難しさは男女問わずなのでしょうね。
また、琉球新報の記事によると、「なり」を「成り」と考えた筆者の方が「成功者を単純に羨むことなく、努力をしなさい」との捉え方が書かれていました。これも、「なりやまあやぐ」の全部がひらがなで明確な正解を用意していないからこそ、新しい”教訓”が示されたのでしょう。僕個人としては、幅のある言葉のチョイスがいくつもの”正解”を生み出しているのだと思います。そうすると、僕の解釈は的外れであったものの、大外れではなかったのか!と、言い訳の余地も生まれました。
数年前、免許取得後40年間で初めて、慣れた操作を不注意から誤って、物損事故を起こしてしまいました。幸いに怪我人は無かったのですが、警察を呼んだり、保険会社と話をしたり、相手方にお詫びをしたりと、知識しかなかったマニュアル通りの行動をしながら”緩んだ手綱を”悔やむばかりでした。気分も車もあんなに凹んだ事はありません。本来の解釈とは違っていても、それからずっと「慣り山危ぐ」と心に染みて私の教訓歌となっています。
※執筆にあたって、ネット情報を色々と調べ安積美加さんのブログ”島風の記憶と希望”や、きよむら三線会さんのHPも参考にさせていただきました、ありがとうございます。