去年は沖縄に行ったから今年はどこに行こう」なんて、言っていたはずなのに
「北海道がいい」とか「ネズミの国」がいいとか言ってたはずなのにー
気がついたら那覇空港にいてしまうような沖縄好きの戯言です。
No.61 憧れのしまくぅとば 2
「これ変じゃね?」と思う言葉がある。それは、地名なんだけど”保栄茂”を知った時が「そう!」だった。豊見城市保栄茂 が「びん」だって!いやいや、漢字で3文字なのにひらがな2文字って「漢字で書く意味ないじゃん」って思った。もちろん、漢字がひらがなの短縮形だとは思ってはいないのですが、「なんか損した気がする」のは僕だけでしょうか?
とは言うものの、実はこれは地名あるあるだと思っていて、大阪にも堺市に”百舌鳥” と書いて「もず」と読む地名があるから「あり」と思えるのです。
それに、「びん」には例の文法が効いているらしく、〈保栄茂=ぼえも=BOEMO〉でしょ。日経新聞さんや@rainさん情報によりますと、二重母音の[oe]や[oi]は[i]に変わる事が多いので、[BOE→BI]に変化して「ぼえ」が「び」になります。(早くも二文字のひらがなが一文字に!)さらに、[mo]が[n]に変化する法則により「も」が「ん」となりました。
前回に続いて言いますが、僕は学生時代英語の文法(グラマーとか言った?)が超苦手でしたので、知識として補充できても実戦では知恵が回らず脳内変換なんてできません。
しかし、文法があるが故に漢字3文字が2音で発音するのは分かるとしても、「にーぶいかーぶい」が「眠い」って事だと知ると、また???は?となりました。「ねむい」の3音を「にーぶいかーぶい」って、倍の音数、原稿用紙だと8マスも使うんだ。しかも、「にーぶい」で通じるらしいのに、韻を踏んで
「かーぶい」をつけるんだと!もう、意味がわからん!
でも、「にーぶいかーぶい」やら「あわてぃーはーてぃ」とか聞くと、無条件にほっこりしてしまう僕がいます。@reinさんの白雪姫が「にーぶいかーぶい」って言うと可愛いのに、仕事で疲れた僕が「にーぶいかーぶい」と口にしたとき、「違う!」と自分で否定してしまいました。可愛いを目指しているわけでは無いのですが・・・やはり、ナイチャーに敷居が高いしまくぅとばです。
No.62 憧れのしまくぅとば 3
すみません、しまくぅとばへの憧れが強く”連載”です。ただの沖縄好きが”しまくとぅば”を話せるようになるには、高いハードルがいくつもありました。
「あちこーこーだから気をつけてね」 那覇市の食堂でおばさんが言っていると、「熱い」だとは文脈と言い方でだいたい想像がつきますが、「あち」に「こーこー」が付いた途端に「あっつ熱」な気がします。「できたての豆腐は熱いよ」より「豆腐あちこーこーよ」って言われたら、食べたくなりませんか?(ちなみに、「あちこーこー」は琉神マブヤーで覚えました。)
太陽が照りつける様子は「てぃだかんかん」だと聞きましたが、内地でも「カンカン照り」というじゃありませんか?でも、「カンカン照り」より「てぃだかんかん」の太陽の方が優しそうな気がしませんか?(完全に個人の意見ですが、うちないちゃーの方は分かってくれますよね。)
夏川りみさんが歌って有名になった「涙そうそう」は、涙がはらはら流れる様子と思っていたら、ざあざあと溢れるような号泣する涙らしいですね。宮古島の言い方だと「涙だだだだ」?とか言うようでしたが、それだと「はらはら」なんて思わなかったでしょうね。「古い出来事でも君を思い出すと涙があふれてくる」なんて、深い哀しみですね。
あれ? 僕の好きなBIGINの曲に「あふれる涙」ってなかったか?ありました。涙そうそうやオモトタケオ(BEGINが初めて沖縄テイストで出したアルバムです。)が出る前の頃ですが、カラオケで歌った記憶がありますが、あれを”うちなーぐち”で発表していたら、「涙そうそう」になっていたのか!(なんで曲のタイトルだけうちなーぐちにするんだ!とありえない話ですが。)
No.63 シーサーのお下がり
NOVEL DAYSの過去の投稿を加筆訂正したものが多いので、季節感がずれますが容赦下さいね。今回は、節分の豆まきの後の出来事です。
我が家の玄関には、結構、上等のシーサーが鎮座している。大切な友人たちから新居祝いに頂いたもので、シーサー作家の手による作品で優しさと威圧感が同居している、「神様」だ。
節分の日には豆撒きをしながら玄関を守ってくれている一対のシーサーに”感謝”の気持ちを込めて、足元に数粒の豆をお供えした・・・のは、今から20日足らず前の出来事。
月末のある日の夕方、2階で仕事をしていた僕の部屋に妻が入って来るなり、話し始める。「お下がりやから、食べなあかんで」急なことに、ドキッとしながらも、(何のことかと思い)振り返ると、妻の差し出さす掌の上には大豆?が数粒乗っている。「シーサーさんの豆を捨てる訳にいかんやろ、食べて」(ああああ、と合点がいく。彼女の掌に乗っているのは節分の日に撒いた豆か。)
だけど、お供えした”節分”は20日ほど前じゃないか。『食べられるのか!』僕は当然の疑問を妻に伝えると、「グニャグニャになってる」(すでに、彼女は食べたらしい。)その掌には、まだ4粒の大豆が見えているから、『お前は食べへんのか?』と抵抗の意味も込めて言ったけど、「3粒食べたけど、もうひとつだけ食べてあげるわ」
言うやいなや、左手でつまんだひと粒を口に入れた。これで、僕の選択肢は無くなった。残された豆は3粒だ。「豆と思ったら食べにくいで」、くれなくてもいいアドバイスをもらった。
今さら仕事のせいにして場を逃れる事もできず、覚悟してひと粒口に入れる。20日分の湿気を含んだ豆は口の中でグニャっと潰れる、常温の柔らかい豆の食感が気持ち悪い・・蒸している途中の豆を取り出して常温まで冷ましたとしても、これより美味しい気がする。
飲み込めない。口の中に残った豆くずがなかなか無くならないから、ペットボトルのアルカリイオン水で流す。「な!不味いやろ・・不味いねん」セリフとは裏腹に(僕が不味そうにしてるのを)なぜか楽しそうに話してる。「シーサーに供えた豆やから捨てられへんやん」、そう言いながら、僕があとふた粒食べるのを待っている。ひと粒で我慢の程度が分かったので、仕方なく続け様に口に入れた。ぐにゃり、もさもさ、ごりごり、ぐにゃり、もさもさ・・これ?大豆だけの味か?そもそも20日前の豆が食べられるのか?
妻の勢いに負けた”後付けの疑問”に”希望”を祈る。『この3粒でお腹が痛くなりませんように』来年の節分の日は、シーサーに感謝だけを伝え、豆を供えるのは止めよう。絶対にやめよう。
追記:僕も妻もお腹は痛くならなかった。


